ラム酒って何?羊と関係あるの?答えはNO、サトウキビが原料のお酒です。誕生の流れをザックリ解説

ラムとは(Rum)、、、

サトウキビから得られる糖蜜(モラセス)を主原料として発酵、蒸留をした蒸留酒です。

主要国、カリブ海周辺。現在ではさまざまな国で作られています。
日本でも九州、沖縄で造られています。

起源

ラム酒の起源。16世紀、カリブ諸島サトウキビ業の
プランテーションで働く先住民や黒人が飲んでいたのが初めとされています。

奴隷を手懐けやすくする道具とされていたり、
壊血病にも効くとされていたので船乗りに欠かせないものとなっていました。
特に海軍や海賊、海にいる人達に飲まれていました。

ラム酒誕生までの流れ

ラム酒の原料であるサトウキビ(砂糖)の歴史から始まります。

ラムの原材料砂糖がインドで作られる
ヨーロッパに伝わる
スペイン、ポルトガルが植民地で砂糖を生産。
副産物でラム誕生。

【古代】まずは原料の誕生から

サトウキビ原生種は1万5000年前
ベンガル地方に自生。
(現在のバングラディシュまたはインド北東部)

紀元前300年前に製糖業開始。

根拠となるのが紀元前400〜200年の間の書物に
砂糖、サトウキビの甘い汁に関する記述が記されている。

紀元前4世紀半、サンスクリット語で、
純度の低いものからグダ、カンダ(キャンディの語源)、サルカラとなっている。

初期の製糖技術は圧搾機を家畜の力で動かし、茎などを砕いて圧搾し
サトウキビジュースを煮詰めて凝縮、糖蜜を作っていた。
この時はまだ茶色い。
その後、濾過する方法が発明され白く甘みのある結晶が完成。

砂糖は薬の苦味を消したり、料理に使えたり、アルコール飲料を作る事ができた。
また長期の保存も可能な為、サトウキビが育たない地方に輸送ができた為、
砂糖は高級な商品となった、カロリー摂取の困難なこの時代での砂糖は、
簡単にカロリー摂取できるチートアイテムでした。

サトウキビの栽培や、製糖が行われていたインド北東部は仏教発祥の地でもあった為、
僧は断食中でも砂糖水を飲む事は許されていたました。
また宗教儀式などにも砂糖は使用されていました。

【中世】砂糖がヨーロッパに伝わる

砂糖の起源がインドだと仮定すると、
僧が砂糖を広めたと考えるのが妥当でしょう。

インドを拠点に7世紀頃、東アジア方面へ。
西の中東方面へサトウキビの栽培、製糖技術などが伝わった。
ちなみに砂糖は「インドの塩」と呼ばれていた。

7世紀頃ササン朝ペルシアイスラム教徒により
サトウキビの栽培、製糖技術が伝わり、エジプト、シリア、地中海域、アフリカ北部へ伝わった。

アジアではサトウキビからできる砂糖はあまり普及しなかった、
砂糖の代わりになる別の存在、麦芽糖が使用されていた。
蔗糖(サトウキビ)に比べると甘さは低いが現在でも料理などに使用されています。

中東では砂糖は飛躍的な進歩を遂げていました。
インドより高温で乾燥している気候、環境ではサトウキビを育てるのは困難。
サトウキビは熱帯域を好む為、土地に水を引き潤すシステムが必要だった。
広い面積の管理と維持、また高価な砂糖を買いたいという顧客、実際に買える顧客の確保。

様々な問題があったが莫大な投資をして問題を解決し、莫大な富を得た。
富裕層の間では宴会に必ず砂糖が出てきていたし
ヨーロッパへの輸出もしていたので砂糖業に関わる人は豊になっていった。

1096〜1272年十字軍遠征、聖地エルサレム奪還の長い戦いの時、
異文化交流が生まれ発展したサトウキビの栽培、製糖、航海技術が伝わり
ヨーロッパ人が砂糖を買う側から、売る側に転じたきっかけとなった。

その後ペストの流行で人口減少により労働力が不足し、製糖業者は奴隷に目をつけるようになります。
また森林破壊による水不足、1453年オスマン帝国によるビザンツ帝国の都コンスタンチノープルの占拠。
アジアとの貿易拠点であったコンスタンチノープルを支配され
ヨーロッパの上流階級は砂糖の入手が難しくなり、商人は別ルートを探す事となります。

ポルトガルとスペインのプランテーション
ポルトガルはマデイラ諸島、スペインはカナリア諸島を植民地化、
砂糖のプランテーションを建設、砂糖業で莫大な富を得た。

そして1493年ポルトガルとスペインによる世界の2分割、
トルディシャス条約が取り決められた。

この条約により、
フランスやイギリスはカリブ海領域に参入出来ずスペインの独占となった。
1529年に新たにサラゴサ条約ラインが取り決められた。

【近世】プランテーションを建設、そしてラムの誕生

カリブ海領域スペイン植民地はヨーロッパ人による伝染病で
1世紀の間に原住民の80〜90%が亡くなるなんともおぞましい事態に。

一方、ポルトガルの植民地ブラジルでは砂糖生産量が増加し、ヨーロッパへの輸出が増えた。
16世紀のヨーロッパではベルギーが砂糖の製糖業が盛んだったが、
スペインの略奪により砂糖業が壊滅的になった。

イギリスのブリストル、フランスのボルドー、オランダのアムステルダムなどが砂糖業に参戦。
一気に流れが変わった。
製糖の副産物として生まれた糖蜜はアルコール飲料を作ることができた。
これが後に「ラム」と呼ばれるようになった。

語源は以下の通りです。(諸説あり)

  • サトウキビの学名「サッカルム・オフィキナルム」
  • カリブ諸島の原住民族「興奮、騒動」の意味の「ラムバリオン」
  • イギリスの田舎の方言で「優秀」を意味する「ラム」
  • 格闘と意味する「スクラム」
  • 騒々しい、だらしない「ラムバスシャス」
  • マレーシア語の「茎」を意味する「ブルム」など様々な説があります。

バルバドスで作られていたラムの報告書では

「この島で作られているのは(ラムバリオン)別名(キル・デビル/悪魔殺し)
強くて、身の毛もよだつ、恐ろしい液体である」

という記録が残っています。

キル・デビルという言葉がオランダに伝わり「キュールデュベル」
フランスでは「ゲルディーヴ」という言葉が生まれましたそうです。

ちなみにブラジルでは「カシャッサ」と呼ばれています。
ラムとは兄弟のようなものです。カシャッサについてもそのうち書いていきます。

このラム酒がプランテーションで働く奴隷達の楽しみであり、
手懐けさせる道具でもありました。
ラムを飲ませて奴隷達を活性化させていた為「ファイティングスピリッツ」と呼ばれていました。

また「壊血病」に効くとされていたので、
船乗りや海軍、海賊の間でもラム酒は飲まれていました。

この時のラムはとても荒らしかったのでライムを入れて飲みやすくしていました。
実際はこのライムによるビタミンCのおかげで壊血病の予防ができていたようです。

長期の航海になると水は腐ってしまうので水の代わりにも飲んでいたそうです。
西インド諸島の奴隷人口増加の生活必需品はアメリカから輸入されていた、
引き換えに製糖の副産物で出来る糖蜜やラム酒を輸出。

ゴールドラッシュや、砂糖業で荒ぶる人々。
反スペイン、植民地争奪戦、三角貿易でヨーロッパ列強国は資本を蓄積。

そしてイギリスの産業革命。1760年〜1830年
蒸気機関が発明され1785年ジェームズ・ワットによる改良により、
蒸留技術、蒸留器が向上。大量生産が可能となりました。

樽にラムを入れて輸送していた為、必然的に熟成ラムの誕生。

熟成には2種類の方法があります。

  • コンチネンタルエイジング(ヨーロッパで熟成、大陸で熟成)
  • トロピカルエイジング(原産地熟成)

熟成環境によっても仕上がりに違いが出てくるので面白いですね。

1806年ナポレオンの大陸封鎖によりカリブ海から砂糖が入手できなくなった。
代用されたのが甜菜(デーツ、サトウダイコン)
寒冷地でも栽培できるので甜菜から砂糖を作る技術が開発された。

大陸封鎖によって余計に作られた砂糖の価値は下落。
さらに植民地の製糖業に重税をかけられ倒産が相次いだ。

一方でラムの需要は高まっていた、砂糖を生産せずにラムを作るアグリコール製法ができた。
※アグリコール製法、糖蜜を使用せず、サトウキビジュースを発酵させて蒸留するフレッシュ感ある仕上がりになる製法です。
ただサトウキビジュースは保存ができない為、プランテーションの近くに蒸留所がなければできません。

【現代】

ラム産地の拡大。世界各国様々な場所でラム酒が作られるようになりました、日本でも九州、沖縄で作られています。
フランス海外県マルティニーク島産のラムがAOCを取得、
特定の条件を満たした製品がINAO(フランス原産地呼称委員会)により認定される品質の保証されたラムです。
他にもボトラーズラムや全ての工程を自社で行うシングルエステートラムなど様々なラムがあります。


以上、奴隷から始まり、水夫、紳士へと飲まれるよう成り上がり、
今では誰もが飲める嗜好品となりました、原料の違い、熟成期間と熟成方法の違い、
宗主国の違いの多くの要素で幅広い味のバリエーションがある魅力的なラム酒の流れでした。

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『バーを開きたい』という目標ができ、会話力、身だしなみ、語学を学ぶ為日々取り組んでいます。 4年半バーで働き、現在はアパレル販売員です。 自分が独立するまでの道のりや、学んだ知識、経験を発信していきます。 よろしくお願いします^^