【ジンの歴史:ロンドン編】ザックリ解説

Distilled Beverage Drink Liquor  - StockSnap / Pixabay

ジンの歴史をザックリ解説していきます。
今回はロンドン編です。

本記事を読むとジンが誕生するまでの流れを理解できます。

ジンの知識を深めたい方、ジンと歴史に興味ある方オススメです。

※世界史、ジンがなんなのか、
ジュニパーベリーを分かっている前提で解説していきます。
そして専門用語使っていきます。
中級者向けといった所でしょうか。分からないワードがあれば、
ワードだけコメントしていただければお答えします。お手数かけます、、

例) Q:蒸留酒、インへニオ型

上記のような感じで構いません。

何も分からない方は↓こちらからどうぞ↓
ジンって何?ウォッカとの違いは?ザックリ解説

知識ゼロでも学べるようにもっと噛み砕いてわかりやすく!
を希望の方はコメントなど頂けるとありがたいです。

では解説していきます。

イングランド統治、狂気のジン時代、ジンメーカーの英知

■3つのポイント

【近世】オレンジ公ウィリアム3世

イングランドとの3度の戦争、勝利したオランダ総督ウィリアム3世がイングランドを統治。
ジュネヴァが輸入され英国風に「ジン」と呼ばれる。

当時のロンドンは蒸留が盛んだった為、
ロンドンでもジュネヴァに似せたスピリッツが造られるがうまくいかない。
フランスとも争っていたため、フランスの財政をたたくべく、
フランス産スピリッツの輸入を禁止し、国内での蒸留ライセンスの緩和を広めた。(1688年)

【近世】狂気のジン時代「ジンクレイズ」

ライセンスの緩和で蒸留所が増えジュネヴァを真似た粗悪なジンが大量に誕生する。
当時の人口60万人そして蒸留所7000件。

富裕層は楽しむ為に飲んでいたが、貧困層はしみったれた生活を忘れる為に飲んでいた、
また人口増加により不衛生な環境が生まれ、
需要と供給のバランスも崩れ、感染症や失業者、乳児死亡率の増加。

酒の飲み過ぎで犯罪者が続出。こういう環境を生んでしまったことが狂気。

政府も富裕層も禁酒に賛成ではなかったが、統制を望んだ。(1720~1751年)

【近世】規制法

5回目の規制でライセンス料を上げたり、
町での販売を規制したが消費量が最大となる。
なんと1人当たりのジン年間消費量が75リットルとなった。(1729年)

そして6回目の規制

直接販売を禁止、パブでしか飲めないように規制。
ジュニパージャック、規制で嘆きの歌や、芝居まで登場。
メーカーは名前を変えて売るようになった。
「パーラメンタリーブランデー」「メイクシフト」「コリックウォーター」など、、
水薬の瓶に密造酒を詰めて売っている科学者もいた。

この時有名になったのが、「オールドトムジン

【近世】規制の中誕生したモグリ酒場とオールドトムジン

元情報屋の、キャプテンダドリー・ブラッドストリート
「オールドトム」というあだ名をつけた。
闇でジンを売る初めてのスピークイージー(もぐり酒場)となった。

オールドトムキャットを掲げた雄猫の看板の下に硬貨を入れると、
細い管からジンが出てくるようになっていた。

お客が「プス(猫)」、店から「ミュー(鳴き声)」が聞こえるとジンが出てくる仕組みです。
これを真似た店がロンドン中にできる。 (1751年)

【近世】8回にも及ぶ規制

貧困、乱交、労働力の衰退、子供の死亡率上昇、生活環境と病気が続き。
知識人達や影響力のある人物がジンを毒と決め法律ができる。

だがこの頃にはジンの人気は落ち、ビールブームとなっていた。
メーカーは良質なジン作りを目指す。(1761年)

【近世】ジンブランド続出と連続式蒸留

1769年にゴードンジンが誕生。
そこから次々にタンカレー、ビーフィーター、ギルビージン、プリマスジンが誕生。
現在でも作られている。

1827年ロバート・スタインが連続式蒸留器を発明、
それに続き1830年イーニアス・コフィが少し改良を加え特許を取った、
連続蒸留機コフィスチルorカフェスチルと言います。

連続で蒸留されより洗練され不純物のないクリアスピリッツが生産できるようになり
「ドライジン」が誕生した。
クリーンなスピリッツなのでハーブやボタニカルが注目される。

世の中は辛口嗜好になり、ドライジンが流行する。(18世紀後半~19世紀)

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『バーを開きたい』という目標ができ、会話力、身だしなみ、語学を学ぶ為日々取り組んでいます。 4年半バーで働き、現在はアパレル販売員です。 自分が独立するまでの道のりや、学んだ知識、経験を発信していきます。 よろしくお願いします^^