ブランデーって何?ウイスキーとの違いは?歴史と一緒にザックリ解説

ブランデー(Brandy)とは、、、

基本的には原料がブドウのワインを蒸留、熟成した蒸留酒(スピリッツ)
国や地域によって様々なフルーツが原料のフルーツブランデーもある。

ブランデーの起源は明確には分かっていませんが、
16世紀初頭、オランダでフランスから輸入した
ワインの蒸留酒を「ブランデ・ウェイン(焼いたワイン)」と呼び、短縮されブランデーとなりました。

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ワインっていつからあるの?誕生から普及までの流れを解説

歴史の流れ

古代

メソポタミアや古代ギリシャ、ローマ、エジプトは
ブドウを発酵させたワインを儀式や薬、水の代わりとして使用していた。
同時に蒸留技術も発達しつつあり、ワインを蒸留した液体も存在していました。

寒冷な土地、ワインが栽培できない土地はワインを輸入していたところもあります、
そこでワインが腐らないよう防腐剤としても使用されていました。

このワインを蒸留したものが化学、錬金術と医学に結び付き、
11世紀頃からの文献などに記録が残っています。

アルコール、スピリッツ、生命の水の意味を持つワインを蒸留した液体は各地で様々な呼ばれ方をしていました。

  • オード・ヴィー フランス語
  • アクア・ヴィタエ ラテン語
  • ウシュクベーハー ゲール語
  • ズィズネーニャ・ワダ 古ロシア語

当時、人々の共通の認識は

ワイン=お酒、アルコール
ブランデー=蒸留した液体、火の酒

だったと思われます。
なので穀物が原料の蒸留酒も、
グレーンブランデーワイン、コーンブランデーなどと呼ばれていました。

中世

寒冷でブドウが育たない地域はワイン、ブランデーを輸入していましたが
蒸留技術や知識がヨーロッパ中に広まり、各地で栽培できるものを原料にし次々と蒸留酒が誕生。

アイルランド、スコットランドのウイスキー
オランダ、ベルギーのジュネヴァ(ジンの元)

そしてフランス、スペインのオードヴィ、ブランデー
どれもまだ無色透明だった原始的なスピリッツ、
樽は存在していて貯蔵や輸送に使用されていましたが「熟成」の効果はまだ発見していなかったそうです。

1310年フランス、アルマニャック地方でオードヴィ(ブランデー)誕生。
スペイン、アンダルシア、地方まで伝わった。

近世

船での運搬が主流になり樽に詰めたブランデーがアメリカや植民地に運ばれていきます。
そんな中、何らかの手違いで積み下ろしされていない放置されていたブランデーがあり、
中を確認し味見してみると「バキバキ美味いやんけワレェ!!」となったそうです。

熟成の効果、ブランデーの認知度が広まり、ブランデーのアイデンティティがここで形成され始めていきます。

また樽に使用していた材料、リムーザンオークは現在でも一級品。
当時は船の材料にも使用されていたそうです。

ブランデーが発展していき、各地の紳士階級が愛飲する中、
フランスではワインが不作の時に飲む安酒となっていた。あくまで輸出用という認識。

1688年オランダ、イギリスが手を組みフランス王ルイ14世の領土拡大政策に深刻なる打撃を与えた。
ブランデーのまがい物が活発に取引され17~18世紀、密輸は儲かるビジネスとなった。

イギリスの数多の入り江で陸揚げされた、関税を逃れたブランデーの買い手はいくらでもいた。
中にはアイルランド紳士階級の人物はコニャック地方に商人を送り製造所を経営することもしていた。

1810年フランス皇帝ナポレオン・ボナパルト、長期にわたる戦争で兵士の士気を上げる為、
毎朝コニャックを支給していたことから有名コニャックメーカー「クルボアジェ」は「ナポレオンのコニャック」という称号を手に入れた。

ナポレオン時代から熟成をしている貴重なコニャック、
高級感とブランディングに繋がりナポレオンの名は売り上げを高める効果をもちました。

1870~71年ナポレオン3世が普仏戦争でプロイセンに敗北。
損害賠償の財源として、ワインに税がかけられ、
フランス国内のコニャック消費は大幅に落ち込み
1872年にはフィロキセラによるブドウ畑の被害、20年にも及ぶ壊滅的ダメージを受けた。

また各国で独自のブランデー造りが行われ、
品種の違うブドウを使用し品質の高いものもあればそうでないものもあった、
多くの生産者が「コニャック」だとか「ナポレオン」と名前を乱用し売り上げを伸ばしていった。

一方、コニャック生産者はブドウ畑の回復と、名前乱用の2つの問題を解決する必要があった。

1936年原産地統制呼称が認証され1938年最終的に確立する。
コニャック地方は6区分
アルマニャック地方は3区分に境界線が引かれた。

現代

1945年ヤルタ会議、イギリス首相チャーチル、アメリカ大統領F=ローズベルト、ソ連首相スターリン、
このメンツで行われた会議の中にブランデーも参加していた。

スターリンはチャーチルに自身の気に入っているブランデーを自慢。
チャーチルは「美味すぎてワロてまうわ!」と大変気に入ったらしく、
チャーチルは死ぬまで毎年1ケースのブランデーを送ったそうです。

そのブランデーが中東コーカサス地方、アルメニアとジョージアで作られるブランデーです。

昔から品質のいいブランデーを作っていて、
ロシア皇帝に製品を届けていた程の王室御用達ブランデーでした。

1917年ロシア革命、革命家達は皇帝が所有していたブランデーを飲み干し、
1週間革命が中断したというエピソードもあります。(ただの呑兵衛だった可能性もありますが、、)

その後、ソ連にブランデーを供給する主要国だったがソ連崩壊後、
流通は無くなってしまった。今では復活しつつある注目のブランデーです。

20世紀初期、フィロキセラと名前乱用問題のコニャックブランデーはますます入手が難しくなり高価なものになります。
本や映画で紳士が飲むお酒というイメージがつきました。

21世紀アーバンヒップホップが流行、MCなどのライフスタイルにブランデーが出てくることで大流行。
同時にバーテンダーはブランデーを使用したミクソロジーカクテルを作り都市部富裕層の間で流行した。

現在では各国で様々な果実を原料としたブランデーがあります。
もちろん製造方法や原料などの定義は国や地域によって違いますが、
どのお酒もそれぞれ歴史があって面白いです。
最近では正常技術があがり、香りがとても豊かなので香だけでも十分楽しめます。


まとめ
全てのスピリッツの原型ともいえるブランデー、そこから各地へ伝わり独自に進化。
芳醇な香りでエレガントな味わいのブランデーは香りで酔わせ口に含めば60兆の全細胞に美味しさという刺激を与え、
はるか昔、前世で飲んだのではないかという懐かしさも感じ、明日への活力ともなります。まさに生命の水。

ちなみに僕はそんなにブランデーを飲めていないのですが、
ヘネシーのパラディを機会があって飲んだ時には、
「このお酒を飲む為だけに生まれてきた」と思うぐらい感動しました。

ブランデーの歴史を紡いできた人や製造者に感謝です。

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『バーを開きたい』という目標ができ、会話力、身だしなみ、語学を学ぶ為日々取り組んでいます。 4年半バーで働いた後、派遣社員としてアパレルで働き現在はマンチェスターへ語学留学中です。 自分が独立するまでの道のりや、学んだ知識、経験を発信していきます。 よろしくお願いします^^