【ジンの歴史:ジュネヴァ編】ザックリ解説

Spices Market Food Ingredient  - Taken / Pixabay

ジンの歴史を解説していきます。
今回はジュネヴァ編です。

本記事を読むとジンが誕生するまでの流れを理解できます。

ジンの知識を深めたい方、ジンと歴史に興味ある方オススメです。

※世界史、ジンがなんなのか、
ジュニパーベリーを分かっている前提で解説していきます。
そして専門用語使っていきます。
中級者向けといった所でしょうか。
分からないワードがあれば、
ワードだけコメントしていただければお答えします。お手数かけます、、

例): Q:蒸留酒、インへニオ型

上記のような感じで構いません。

何も分からない方は↓こちらからどうぞ↓
ジンって何?ウォッカとの違いは?ザックリ解説
ジンを学ぶ上での前提知識です。

知識ゼロでも学べるようにもっと噛み砕いてわかりやすく!
を希望の方はコメントなど頂けるとありがたいです。

では解説していきます。

ジンの前身ジュネヴァ、世界初の株式会社、Dr.シルビウス説

■3つのポイント

【近世】オスマン帝国コンスタンチノープル占拠

ヨーロッパとアジアを結ぶ重要な貿易拠点が奪われ、
アジアから輸入していたスパイスに重税がかかる。
よって安価なジュニパーが出回る。(1453年)

【近世】ネーデルラント ブドウの不作

20年の間ブドウが不作、これにより穀物が原料のスピリッツが流行、
そしてジュネヴァ誕生
※Dr,シルビウス説について、定説となっているが最近では否定の意見もある。(16世紀)

【近世】ネーデルラント(オランダ、ベルギー) 80年戦争

1581年にネーデルラント北部(オランダ)がイングランドの支援を受けスペインに対し独立を宣言。
南部(ベルギー)はまだ独立をしていなかった為、
国民はイングランド、ドイツ、北部(オランダ)へ移住。
その中の一族が有名なボルス社。(1568~1648年)

【近世】世界初の株式会社 オランダ東インド会社

スペインとオスマン帝国の圧力を押し切り、
アジアへの貿易を21年独占。
アフリカ、インドネシアなどへも行き各地へジュネヴァを広めた。

ポルトガル、イングランドの競争相手を駆逐し、
アジアへのスパイスルートを確保でウハウハ状態。

オランダ、スヒーダムでは37か所しかなかった蒸留所が、100年の間で400か所になった。
オランダと言えば風車。この風車が穀物を砕く役割を果たしていた。
自然の力を使うインヘニオ型ですね。(1602年)

【近世】イングランドとの対立

仲の良かったイングランドと対立することとなり、3度の戦争。
オランダが勝利し、当時の総督ウィリアム3世がイングランドも統治。
これによりジュネヴァが輸入され英国風に「ジン」と呼ばれる。(1688年)

※【近世】Dr,シルビウス、ジュネヴァ開発者説

ジンの起源、定説となっているのが17世紀オランダライデン大学の医師、フランシスク・シルビウス。
熱病の特効薬を作ろうとして利尿効果のあるジュニパーベリーを
アルコールに浸漬して蒸留した薬用酒がジュネバと呼ばれオランダを代表する酒となった。(17世紀)

1660年にDr.シルビウスが開発したとされるが、起源とは記されていない
様々な歴史書や文書がシルビウスを重要人物として記されているだけで誤りとされている。
シルビウスが生まれたのは1614年その前にジュネヴァによる記録がある為、違うのではないかという意見もある。

ベルギー、ハッセルトの国立ジュネヴァ博物館もシルビウス説を否定、ボルスの司書だった人物も同じく否定。

また13世紀にはフランドル地方、広く言えばネーデルラントに存在していた。
14世紀頃にはジュニパースピリッツは医師の常備薬となっていた記録も残っている。

ペスト流行時にも医師はジュニパーを持ち合わせていた、
アルコールも持ち合わせていたと考えるといつジンが誕生しても
おかしくはないです。

現在では11世紀イタリアの勤勉な修道士が開発した説が有力となっている。

いずれにしても、
ジュネヴァがいつ生まれてもおかしくない環境であったことには変わりないってことですね。

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『バーを開きたい』という目標ができ、会話力、身だしなみ、語学を学ぶ為日々取り組んでいます。 4年半バーで働き、現在はアパレル販売員です。 自分が独立するまでの道のりや、学んだ知識、経験を発信していきます。 よろしくお願いします^^