【ジンの歴史:アメリカ編】ザックリ解説

Roaring  S Sign Speakeasy Alcohol  - AnnaliseArt / Pixabay

ジンの歴史をザックリ解説していきます。
今回はアメリカ編です。

本記事を読むとジンが誕生するまでの流れを理解できます。

ジンの知識を深めたい方、ジンと歴史に興味ある方オススメです。

※世界史、ジンがなんなのか、
ジュニパーベリーを分かっている前提で解説していきます。
そして専門用語使っていきます。
中級者向けといった所でしょうか。

分からないワードがあれば、
ワードだけコメントしていただければお答えします。お手数かけます、、

例) Q:蒸留酒、インへニオ型

上記のような感じで構いません。

何も分からない方は↓こちらからどうぞ↓
ジンって何?ウォッカとの違いは?ザックリ解説
ジンを学ぶ上での前提知識です。

知識ゼロでも学べるようにもっと噛み砕いてわかりやすく!
を希望の方はコメントなど頂けるとありがたいです。

狂騒の20年代、アメリカ黄金期、禁酒法

■3つのポイント

【近世】カクテルブーム

この時はロンドンドライジンよりも、オランダジュネヴァのほうが人気がった。
オランダ人の移民が多かった為だと考えられます。

そしてジンベースのカクテルが続々と考案されていく。
ジン&ビターズ、ギムレット、ジントニックなどがこの頃に誕生。(1850~1900年)

【近世】ドライジンブーム

ジンベースのカクテルが流行し始め、辛口のジンも人気がでてきた。
当時のカクテルブックには半分以上がジンベースのものでした。(1906年)

【近世】禁酒法と狂騒の20年代

1658年からアルコールは「神からの贈り物である一方、乱用は悪魔の仕業によるもの
アルコールがもたらす危険性を訴える組織がいくつか存在していた。
時は流れ、成熟したこの訴えが禁酒法をもたらした。

アルコールの製造、販売、輸入、輸出、輸送が禁止され、闇市が栄えた。
密造もされるようになり、この時「バスタブジン」と
言われるバスタブで作る粗悪なジンが誕生した。

ロンドンで起きた「ジンクレイズ」のような時代となった。
そして優秀なバーテンダーは海外へ。(1920年~1933年)

禁酒法とはいっても、アメリカで飲まなければいいだけなので、
海外旅行に行きアルコールを飲むことができた。

この時を舞台にした小説、映画「グレート・ギャツビー」や「アンタッチャブル」などが有名です。

【現代】戦後のジン

フランクリン・ルーズベルト大統領が1933年に禁酒法解禁。
ホワイトハウスで執務時間が終わると、
大統領自身がドライマティーニをスタッフに振舞い労をねぎらった。
(伝説によるとそんなに美味しくは無かったらしい、、)

だがこのしきたりが上流階級の人たちに伝わり
エスタブリッシュメントの間で飲まれジンは出世した。(1945年~)

終戦後、「007」で出てきたマティーニが流行するが、
ベースはジンではなくウォッカだった。
これはジン業者もおったまげ!(いやジンちゃうんかーい、マティーニ言うてますやん!)
ウォッカブームや、缶ジュースなどの普及。
ジンに比べクセの無いウォッカは割りものとの相性が良くカクテルが大流行。

ジンの座を勝ち取り、固定観念をぶち壊したウォッカの黄金期到来。

また1950年にビジネスランチでマティーニを3杯飲むという、スリーマティーニランチが流行。
エグゼクティブが必要経費で落とせるのは3杯までとなっていた。
(ランチでマティーニ3杯、、笑)

ジンを飲んで会社や商談をすると匂いが残る為、
ここでも無味無臭ウォッカのお出まし。
007のウォッカマティーニもあったのでさらに人気に、、

ソルティドックやシーブリーズも元々はジンベースだったが、
現在ではウォッカベースが主流となっている。


以上
アメリカでカクテルブームとなったが、ウォッカにその座を奪われまくるジン。
アメリカ編でした。

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ABOUTこの記事をかいた人

『バーを開きたい』という目標ができ、会話力、身だしなみ、語学を学ぶ為日々取り組んでいます。 4年半バーで働いた後、派遣社員としてアパレルで働き現在はマンチェスターへ語学留学中です。 自分が独立するまでの道のりや、学んだ知識、経験を発信していきます。 よろしくお願いします^^