メキシコの前身となる国家、アステカ帝国と聞いて皆さんは何を思い浮かべますか?
古代遺跡?宇宙との繋がり?謎の石仮面?
なんかホラー系で検索してはいけないワード『アステカの祭壇』というのありましたよね、、。
そもそもアステカってどういう意味なんでしょう?
・アステカの語源
北メキシコにアストランという地名があり、これに基づきヨーロッパ人の学者がアステカと呼び始めました。
実際はアステカ人が自身を呼ぶときは「メシカ」と言います。
メシカとはアステカの一部族を表す言葉でもあり、神に選ばれし者だったり、神官が率いた集団、といった意味合いがあります。
また英語圏では「メヒコ」と呼ばれ、現在の国名メキシコの由来ともなっています。
・ある食べ物が有名
ミステリアスでちょっぴり怖そうなイメージですが、実はアステカは”ある食べ物”の発見と発祥で有名です、1度は絶対食べたことある、甘くていい香りの・・・・・。
チョコレートです。
これ聞くと何だか一気に親近感湧くのは僕だけでしょうか?笑
チョコレートの原料カカオはとても貴重な資源で様々な用途がありました、儀式での捧げ物や薬・貢ぎ物や貨幣また「ショコラトル」というカカオ飲料として王族、貴族、戦士に飲むことが許されていました。
ちなみに庶民はアガヴェが原料の「プルケ」だったり「蜂蜜酒」を飲んでいました。
それでもプルケは庶民の飲み物といえど、全ての階級で飲まれていました。
一応「プルケの女神マヤウェル」という神様がアステカ神話の中でも登場します。
「プルケは飲んでも良いけど醜態を晒したらアカンで〜、泥酔したら処罰やで〜」って決められていました。
泥酔の罪を犯してしまうと、庶民の場合は住居破壊、上流階級の場合は処刑。
(そりゃショコラトル飲むよね笑)
また、宴会ではカカオにお湯を入れハチミツ、唐辛子、バニラ、トウモロコシパウダーなどを入れ混ぜ合わせたカクテルのようなものを飲んだり、
チョコレートとマジックマッシュルームを食べ、ぶっ飛んでいる中見た幻覚を他の人にめゴリゴリに語るっていう事をしていたようです。(これは良いのか?笑)
・食文化
主食はトウモロコシ、トウモロコシを粉にしてトルティーヤにしたり、団子にしたりで様々なソースで楽しむといった感じです。
非常に栄養価が高く動物性タンパク質に頼らず食生活を送れるレベルの食文化でした。
(僕はタコスが非常に好きで、特にトウモロコシのトルティーヤで作ったタコスが本当に美味しくて食べる度ぶっ飛んでます。
とてもメキシコ料理が美味しく、テキーラ・メスカルが楽しめメキシコ愛を感じる最高にオススメのお店があるのですが現在休業中、、、ここのタコスが1番好き、いや、愛している!)
高度な食文化のレベルであるにも関わらず、実際には七面鳥やアルマジロや犬、魚介類に昆虫食まで食べていたそうです。
ちょっと怖い話なんですが、信仰上の理由で人肉も食べてました。
・宗教
太陽信仰そして多神教であり様々な神が存在していた。
“アステカ神話の中で世界は4回滅亡しています。
世界が滅亡する度に神々が自ら命を捧げることで太陽に転生、そして世界を創造した。
太陽が無くなることを最も恐れ滅亡を先延ばしする為、生贄で人間の心臓を捧げていた。”
生贄になった人の肉は、トウモロコシと一緒に煮込んでスープみたいな感じで食べられていた、これは神聖な食べ物であったという。
また生贄になるのは戦争で負けた捕虜、精神的な推進力となる為心臓を捧げれば捧げる程、戦争で勝利すると信じられていました。
結果的に勝ち続け、捕虜の数が増えていき100人〜1000人の心臓が捧げられた。ひぇ〜・・・。
ちょっと怖い文明もありますが、自然や季節の変化に密接に関係していた事で宗教や学術知識は発達したんですね。
・文明
2500年もの間、他文明との交流はなく、密林で独自に発展。
家畜や製鉄技術などはありませんでしたが、占星術、建築技術、農業、階級文化、帝国行政の構築には長けていました。
さらにアステカでは天体観測により2つの暦を導き出していました。
- 1年が365日暦あることを認識していた太陽暦。
- 260日暦、占星術で使用されていた、日本でいう干支みたいな感じです。
そして2つの暦が重なり合うのが52年に1度の為、これを1周期としました。
現代と変わらない暦があったなんて、よっぽど頭の良い人がいたんだな〜。
さて、ここからが本題です。
・アステカ帝国 建国までの流れ
1428年〜1521年に現在のメキシコに栄えていた、自立したメソアメリカ文明の長い歴史の中、最後に残ったたった一つの国家です。
大まかな流れとしては、アステカ帝国ができる前は前身となる国家や文明があり最終的にアステカが統一することになる、だが異国の征服者に侵略されアステカ帝国は滅亡してしまう。
といった感じです。
まず、場所の説明から入ります。
場所は現在のアメリカ大陸。
大きく分けると3つの大陸になります、北アメリカ・中央アメリカ・南アメリカ。
そしてメキシコがあるのは中央アメリカ、ここで発展した文明は『メソアメリカ文明』と言います。
※「メソ」とはギリシャ語で「中央」の意。
ちなみに近所にマヤ文明がありました。
ここから歴史が始まります。
始まりの場所
湖の中心に繁栄した古代水上都市「テオティカワン」(紀元前2年~紀元7年)。
※現在のメキシコシティ、湖は干上がっています。
当時のアメリカでは最大規模を誇り最盛期の人口はなんと20万人、そして多くの人々の生活を支える為下水網が設備されていいました。
ただこのテオティカワンは7世紀頃、滅亡してしまいます。
滅亡の理由はまだ解明できていなく、どんな民族が住み、どんな社会でどんな文化があったのか謎のままです。
分かっている事はテオティカワンは「神々の場所」と呼ばれていた事です。
都市には「太陽のピラミッド」「月のピラミッド」「死者の大通り」と言われる宗教観を示す都市設計がされていたことから、神権的な権力組織が存在し統治していたと推測されています。
突如滅亡してから500年の月日が経ち、ついに再びこの地に人が住み始めます。
都市を発見したのは「メシカ族」というメキシコ北部に住む、「メメチカ」と呼ばれる遊牧民の一部族です。
北部から南下する長い旅の中、テノティトランを発見し入植。
この地を中心に繁栄していき、勢力を持ち始め、やがて14世紀頃にこの地方は「アステカ」と呼ばれるようになります。
東西大国の対立
建国の最中、アステカの国力はまだ弱く、領土と呼べるものはテノティトランしかありませんでした。
このままでは領土拡大は難しい、、
そしてこの当時、中央メキシコではテスココ湖を中心にいくつかの都市が栄えていたが、それらは大きく分けて2つの勢力に対立していた。
「西のテパネカ」と「東のアコルア」
アステカは西のテパネカの主要都市「アスカポツァルコ」に貢物をする事で庇護を受け、それと同時に西側の勢力に属する事となりました。
大国の庇護のもと少しづつ力をつけていき、周辺都市を徐々に攻略していき、領土拡大に成功。
やがて15世紀に入ると、ついに対立していた両国の全面戦争が始まる。
勝利したのは西のテパネカ、敗北した東のアコルアは庇護国であるアスカポツァルコが統治する事となった。
この戦いで大きな戦果を残したアステカは西陣営の中でNo2の地位を獲得。
このまま西勢力が繁栄しメキシコ統一と思われたが、アスカポツァルコの統治者であった「テソソモク」が死んでしまい大きな問題が発生する。
継承争い
後継者に指名されたのは「タヤウ」、テソソモクの息子です。
テソソモクは政略結婚により多くの妻と子供がいた、息子には周辺都市の統治を任せ娘には政略結婚をさせていた。
そして当時のアステカ王「チマルポポカ」はテソソモクと同じ血筋であった為、後継者の決定を支持していた。
だが、即位したのはもう1人の息子「マシュトラ」でした。
マシュトラは恐怖と暴虐で人々を支配していった。
さらにチマルポポカが何者かに暗殺されてしまう。
おそらくマシュトラの息がかかった者が暗殺したと考えられる、、、。
新たにアステカ王に即位したのは「イツコアトル」
初代アステカ王の息子であり将軍でもある人物、王の家系でこれ以上の適任者はいなく文句無しの即位となった。
“荒ぶる大国の王マシュトラの支配””期待の星アステカ王イツコアトル”
やがて両者は敵対する事となる。
3国同盟
とは言ってもアスカポツァルコは大国、アステカの国力では厳しい。
そんな中イツコアトルに協力を申し出る1人の男が現れた。
男の名は「ネサワルコヨトル」、東西の戦いで敗れた東の大国アコルアの主要都市「テスココの王子」だった。
マシュトラに命を狙われ、近隣の友好都市へ亡命していたネサワルコヨトル。
自身の故郷がマシュトラの暴虐によって支配されているのに耐えかね、故郷奪還の為イツコアトルに協力を申し出た。
互いの目的が一致しており協力し、まず手始めに「テスココ」を奪還する。
テスココに新たな王として「ネサワルコヨトル」が即位。
テノティトラン、テスココ、そしてトラコパンという都市も協力に加わり3国同盟が結ばれ、大国アスカポツァルコに討ち入りを開始する。
アステカ帝国 誕生
激しい戦いの末、3国同盟が勝利。
そして生贄の儀式が行われる。
マシュトラを捕え、権威を示すものを全て剥ぎ取り、生贄の台へと運ぶ。
4人の従者がマシュトラの四肢を抑え、
黒曜石のナイフを手に持って現れたネサワルコヨトルが胸郭を切り開き、脈打つ心臓を取り出し四方へ振り撒き奉納、戦いの幕を閉じた。
エグい終わらせ方だけど、この儀礼にはとっても深い意味がありました。
生贄の儀礼に捧げる供物の中で、人間の血は生命力の源である為、最高級とされていた。
乾季から雨季への重要な移行期間において、農作物の育成サイクルや雨の恵みといった「大地の再生」する力を信じられいたり、
即位儀礼における国家の更新、社会が再統合され生産力を取り戻す、新時代の幕開けと考えられていました。
こうして死を生に変え、新時代の発展と繁栄を告げ、3国同盟は領土を分配し、1428年この勝利を持ってアステカ帝国の誕生となった。
以上が建国までの歴史となります。
次回、滅亡までの歴史を書く予定です、お楽しみに。
メキシコの蒸留酒メスカル・テキーラも是非チェックしてみてください。
ご覧いただきありがとうございました。
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