前回の続きです。
アステカ帝国 建国までの歴史
前回のあらすじ、メソメキシコ最大勢力国アスカポツァルコvsアステカ属する3国同盟。
無事勝利し、アステカ帝国誕生となった。
アステカ帝国 誕生後
アステカ帝国誕生後、領土を拡大していきメキシコ中部をほぼ統一。
脅威となる勢力はなくなり、順調に繁栄していった。
だが海外ではとんでもない出来事が起きていた。
『トルデシリャス条約』
1494年スペイン帝国とポルトガル王国が結んだ、世界を2分割する条約。
スペイン王認可とはいえ、組織化された私兵部隊がキリスト教の布教活動という大義名分を掲げた。
彼らはコンキスタドール(征服者)と呼ばれ、コロンブスが発見?遭遇?したと思われる新大陸を目指す。
※結局コロンブス以前の500年前にヴァイキングが発見したとされている。
『富(黄金)、名声(布教)、力(征服)』
ーこの世の全てが手に入るー
魅力的な噂やワードに惹かれたコンキスタドール達は武力による征服を目論み大海へと乗り出す。
世はまさに大征服時代。
異国の征服者
1519年メキシコ沿岸部コンキスタドールが入国する。
やってきた異国の征服者、名は「エルナン・コルテス」、コルテスは上官の命令を無視し11隻の船と16頭の馬、500人の兵士を連れアステカ帝国を目指す。
コルテスは事前にこの地に関わる”とある噂”を聞いていた、
“壮大な石造りの町、そこで暮らす住民、屈強な戦士とそれを率いる強大な支配者、豊かな王国と莫大な黄金”
目的地に向かう道中で原住民を蹂躙、または味方に付け着々とアステカ帝国へ近づいていく。
そしてついに目的の地へ到達する。
長い戦いと帝国の終焉
アステカ帝国はいきなり敵対せず、コルテスを迎え入れた。
テノチティトランを案内し6日間見学をした、またその時に儀式に捧げられた心臓を目撃。これはビビる笑
アステカ王は食事を振る舞い、貢物を渡す代わりに立ち去るよう要求。
だが結局、敵対する事となる。
コンキスタドール達は、威圧的な武器・甲冑の装備に対し、アステカ人は棒に黒曜石ナイフをくくりつけた原始的な装備だった。
圧倒的な軍事力の差がある中、戦争が開始。
それでも長きに渡り、アステカが耐えていたが疫病の蔓延により防衛力が大幅に削がれ、コンキスタドールの勝利となった。
ヨーロッパでは家畜を通うじ疫病が蔓延していたが、人々はこの環境に適応。
家畜のいないメソアメリカは当然、疫病に対する抗体がありません。
よって1521年主要都市テノチティトランは陥落、アステカ帝国に終焉を迎えます。
なぜ最初に敵対せず迎え入れたのか?
定説となっているのはアステカ神話に登場する「ケツァルコアトル」の再臨。
アステカ帝国成立前から、英雄視されていたケツァルコアトルは神話上で「テスカポリトカ」という神と対立していた、最終的には騙され支配の座から追いやられてしまった。
ケツァルコアトルは“予言”を残し東の海へ去っていった。
『1の葦(あし)の年にアステカに再臨し、再び世界を支配する』
その1の葦が1519年、コルテスがやってきた年だった。
アステカ王は異国の侵略者を「英雄の帰還」と勘違いしてしまい、すぐには敵対せずもてなした。
結果、アステカ帝国はコルテスによって支配されてしまった。
これには諸説あり、コルテスが自ら「私はケツァルコアトルだ」と名乗っていたり、
ある歴史家の話ではそもそもケツァルコアトルは予言など残していない、そんな記録は見当たらない、おそらくはコルテス侵略後に作られた話。
とされている。
ま、真相はわからないんじゃ仕方がないです。
ただ事実で事実で分かっている事は、現在メキシコの首都メキシコシティは、テノチティトランがあった場所であり、現在もメシカの末裔が住んでいて、アステカ以前からの受け継がれる意志は今でも存在しています。
以上となります。
一説によるコンキスタドールは黄金の国ジパング(ジャパン)、つまり現在の日本を目指していたそうです。
もし征服されていたと思うと、、、。
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最後までご覧いただきありがとうございました。
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