周りの人間と話しているとどうしても噛み合わない時や意見のすれ違い、
生活していれば一度は経験したことあると思います。
人間なので仕方のない事だとは思いますが、
会話すら通じない。そういった人達も存在します。
そもそもなぜそんなことが起きてしまうのか?
それは『思考力の差』です。
育ってきた環境や関わってきた人物、
今までの経験の積み重ねでその差は出てきます。
よくある話だと、、、
- 過保護な家庭で育った
- 苦しい思いをしていない
- 親まかせ
といった時間の過ごし方をした人物と
- 両親が離婚している
- 母子家庭
- 甘えられない
を経験した人物。
後者の方が『思考力』が得られるという意見が多いです。
僕の考えは少し違います。
誰にも頼れず、信用できず、恥をかき、
心に傷をおって『思考力』を得られると考えます。
僕の経験上の話だと、
片親の子供は虚言癖や盗み癖があり、平気で人を騙し傷つける人が多く。
人を判断する基準が少なく、結果までの流れに自分が原因の1つと考えることもできず決めつけてしまう。
僕が出会ってきた片親の人達はほとんどこの傾向がありました。(小中高、社会)
※もちろん出会ってきた人がそういった傾向が多いので僕のデータに偏りがあります。
僕は両親ともいます、決して裕福ではないですが愛情をもらい育ったと思います。
1人っ子だったので1人でいる時間が多く、周りからは『どうせ愛されて育ったんでしょ?』
『結局何もできないんでしょ?』『だから1人っ子は甘えん坊なんだよ』
片親で苦労した人物の理屈でいくと、
思考力のあるはずの人間が人を傷つけてしまっている構図が出来上がります。
自分には兄弟もいなく、言い訳や否定をしても決めつけられているので証拠がありません。
自分は君達と同じ人間、だけど周りからみたら『愛されて育った人』に見えていたようです。
思考力があっても人を傷つけないとは限らない、
いやむしろ傷つけて苦しみを味あわせ成長を促す。
流石にそこまで考え計画的に発言したとは思えないですが。
つまり僕が言いたいのは、親がいてもいなくても、愛されていても愛されていなくても。
成人までの価値観の形成の中で偏見はできてしまうかもしれないが、
その後の自分の経験次第で思考力は得られるし、鍛えられる。
自分を信じることも大事だが、過信してしまう性質があるので良い意味で自分を疑い、
その都度振り返って反省と改善を試み、自戒しながら地道で泥臭い道を進んで行く。
思考力を鍛えるキッカケに必要な条件は?
身の危険を感じる事、喪失感、精神的なショック。
自分が心の拠り所、好きや好奇、
身を委ねていたものや時間共有と生きた証を否定された時や喪失した時だと考えています。
それが成人までの流れの中にどれだけ組み込まれるかで社会に出てからの思考力に影響してきます。
ショックの受け方は人それぞれですが、
自分が愛情を注いで時間を共にしているものを喪失したときのショックはかなりでかいです。
そしてここで経験した苦しみから『思考力』が得られ人によって思考の方向性が異なり、
思考して得た行動の選択によって人生が左右される1つの要因となる。
今までの僕は失うものに身を委ねてしまっていたので、喪失した時のダメージは結構シンドかったです。
ミスや失敗に囚われ過ぎ、思考にノイズが発生し悪循環の始まりとなってしまいます。
なるべく切り替えを早くできるよう、思考に余裕を持つ必要があります。
必要な情報だけ頭に入れ処理をしていく、そこに不要な情報が入らないようにする。
不要な情報とは?
冒頭でお伝えした、会話すら通じない人の発言や行動から得る情報です。
他力本願、成功体験、判断基準の少なさ、人生経験の無さ、すぐ感情的になる、
責任逃れ、被害者意識。
そして『自分で思考しない』という条件が当てはまる人はそういった傾向が多いです。
余計な思考し過ぎると頭が熱くなって、判断力が鈍ります。
また適度な思考の休憩も必要です。
(瞑想やヨガなど、、)
思考力は何の役に立つ?
あらゆる視点から考えられるようになり、
話していて『この人面白い』と人に好奇心を持たれやすくなります。
人が集まる場所には情報があり、利益が発生します。
デメリットは出遅れる事です。
行動もできて思考できて初めて人としてのスタートラインに立つことができます。
それまでの間に投げ出すも、楽になるのも自分次第です。
最後に
久しぶりに記事を書いたので、元からですが文章力の無さに絶望しています。
【心に余裕を持つ方法】評価基準が少ないと世界は広がらない。
人は余裕があると優しくなれる、その為には自分を楽しませ欲求を満たそう。
コメントを残す