魚が食べれない人の因果律 好き嫌いじゃあない”食べれないんだ”

日本生まれ、日本育ち、食卓で必ず出てきたであろう魚料理。

私は生まれて28年間魚を食べれた事がありません。
物心ついた時から”何故か”食べれなかったんです。
別に飲み込んでも肌が荒れるとかはありません、味わうことができません。

味わう事が出来ないというのは、果たして食べているというのでしょうか?
食べるという行為は食べ物に対して集中し味わうことで成立するというのが私の考えです。

保育園の頃は魚が食べれず、先生に無理やり口に入れられました。
「この経験がキッカケでトラウマになって嫌いになったのでは?」と言われたことがありますが私はそうは思いません。
なぜならそもそも食べれなかったからです。

小学校の給食で魚が出た日は地獄。
食べるフリをして口に含み吐き気に耐えながら飲み込めずにいました。
まるで喰種になりたての金木健バリに嘔吐き狂ってました。
(近頃の給食では嫌いなものは無理に食べなくて良いとなったみたいです。)

この頃、好き嫌いは悪という風潮を子供ながらに感じてました。
中学高校では弁当だったので魚に怯える事はありませんでした。

しかし魚が食べれないというだけで奇人扱い。
「社会出て苦労するよ」だとか「好き嫌いがあるのは恥ずかしいよ」だのゴチャゴチャ言われてきました。
体が拒絶するものをどうしろと?

奇人は認める、社会出て魚以外で苦労はしてる。
あと大事な事だから何度も言うけど好き嫌いじゃあない、”食べれないんです”

なぜ魚が食べれないというだけでこんなに苦しい思いをしなきゃいけないんだと何度も思いました。

みんなと同じになりたい。

いつか食べれるんじゃないかと思い28年間何度も挑戦してきました。
しかし、なんの成果も得られませんでしたァッ!

魚を食べれる人のアドバイスを聞き何度も挑戦してきました。

「美味しい魚料理を食べた事ないんだよ」
ダメでした。
高級寿司屋いわゆる回らないお寿司に挑戦したがダメ。

「年齢を重ねれば食べれると思うよ」
まだ食べれないです。

「生でも焼いても煮ても揚げても?」
全く食べれませんでした。

口に入れると強烈な吐き気と拒絶反応が起こります。
身体中の全細胞が絶対に飲み込んではいけないと警告してきます。

原因は不明です。

咀嚼も飲み込む事さえ困難な経験はありますか?

魚が食べれないとは一体どういう感覚なのか?
一応私が魚食べれない代表としてお伝えします。

まず、、食べる前から強烈な腐敗臭?死臭?で頭がクラつきます。
口に入れた時の触感は、、、色んな揚げ物をして使い古し酸化したクッセェ油の塊みたいな感覚、焼き魚は原子崩壊して形を保てなくなった噛みごたえのないクッセェゴミ、煮魚はクソです、味噌煮とかいよいよクソです。
そして生焼煮魚の全て咀嚼すればするほど意識ブッ飛ぶ程の強烈な腐敗臭?死臭?が発生し飲み込もうにも吐き気で飲み込めません。

もちろん上記の表現は例えで魚食べれない人はガチでこんな感覚だよっていうのを伝えたかっただけです。
悪意はないですしクッセェ油の塊もクッセェゴミもクソも食べたことありません。

ちなみに鮮魚コーナーはしっかり気を入れないとダメです、油断すると嘔吐きます。
魚が食べれない人にはかなり共感してもらえるんじゃないかな~?

みんなが普通に食べれる魚、みんなが普通に理解できる事、みんなが普通に選択する道。
私は魚が食べれず、みんなが普通に理解できる事ができず、みんなが普通に選択しない道を選択。

魚は美味しそうに見え食べたいと思っているのに食べれない。
みんなと同じがいいと思うのに一緒にいると何故か苦しくなるし孤独感をより感じる。
自分が信じた道を選択し続けた結果奇人と言われる。

私が望む思いは体が拒絶する。
思いと体の不一致、ダーウィンもウォレスも見落とすバグです。

他者比較なんて馬鹿らしいし関係があるとは思いたくないですが、これまで生きてきて関係が無いと思う方が不自然なくらいの出来事が起こるんです。
まるで始めからそうなると決まっていたかのように、、なぜでしょう?

“因果律”

全ての出来事は、ある原因から生じた結果の姿。

私にとって魚はTHEネガティブ、強制や風潮・辛辣・絶望。

先天的に魚を拒絶する体で生まれ、これが原因で起きた世間とのすれ違い現象。

幼少期か成人になるまでの人格形成に欠かせない時期に魚が食べれないというだけで、私の精神はダメージを負いまくりかなり疲弊していました。
いや周りの発言を受け流すか耐えれる精神力が私にはなかっただけなのかもしれません。

もし僕が「魚を食べれる体質だったら違う人生になっていたのではないか」とつぶやけば。
その言葉待ってました!と言わんばかりに「自分の人生は自分で切り開くんだ」という本に書いてあるようなセリフを何も考えず衝動的に吐き散らし、勝手に悦に浸ってほくそ笑む。
そんな人もいるかもしれない。

しかし人は誰かを見下してこそ生きていける生物です。

この因果律は僕にどんな影響を与えてきたのか?

なぜ?を追求する疑問人間になった。

僕にとって自然な出来事は周りでは不自然。

魚が食べれないという原因で生じた不条理は、精神作用に影響し物事を追求するしたり挑戦するという力を与えてくれた。

結果:このブログが誕生し記事が書けている。なりたかったバーテンダーにもなれた。やりたい仕事ができている。

知らんけど。

もしこの記事を読んだ人の中で魚食べれないよっていたらコメントをよろしくお願いします。
本当に魚を食べれないという人とは出会ってこなくて理解者もいなければ共感もないわけです。
魚苦手って人はいましたけど一緒じゃあないんです。
今から数年後、この記事を見つけた時でも構いません。
ここまで記事を読んでいただき有難うございます。

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ABOUTこの記事をかいた人

『バーを開きたい』という目標ができ、会話力、身だしなみ、語学を学ぶ為日々取り組んでいます。 4年半バーで働いた後、派遣社員としてアパレルで働き現在はマンチェスターへ語学留学中です。 自分が独立するまでの道のりや、学んだ知識、経験を発信していきます。 よろしくお願いします^^